10年の時間と、人生の分岐。

島健太郎という名前を久しぶりに聞いたのは、去年の今頃であった。正確には見た。
たまたま、会社の同僚がCNETのブログを読んでいた画面が、チラリと目に入ったのである。
大抵、人の名前は特徴的であり平凡だ。頭の中の、埃のかぶった人名録から記しをつけるのに時間がかかった。CNETの写真を見ても、サングラスをかけているので、まだこの人名録の中の名前と一致しなかった。プロフィールを読んでようやく確信を得た。あの江島であろうと。確かに、写真だけでは思い出せなかった。もう、始めてあってから10年だ。顔から青さが抜けている。悪く言えば老けている。

知り合ったのは京都で学生をしていたときに、とあるプロバイダーで知り合った。深夜の高野のミスドとか、徹夜あけの元田中なか卯とか結構懐かしい。

ブログを読んで、あの頃からあんまり変わってないなって感じた。発想と行動とか、底に流れるものは同じだ。アメリカに渡っていましたか……彼ならそうかもと思う。Oracleに行ったのはともかく、XMLを選択したのは彼らしい気がする。

彼我の差を考えると、10年って時間はとてつもなく大きいなとは思う。学生時代に似たような時間を過ごして、10年経つとこれだけ違う世界にいることを考えると、人の数ほど人生があるとはよく言ったものだと感心する。志向の違いだけで、ここまで住む世界がちがうとは。

彼は、SIerの世界を選んだ。だったら、アメリカに行くのは当然だと思う。日本のSIerは悲惨だ。悲惨な原因は、日本の文化だと思っている。例えてみると、付き合っているうら若き女の子と喧嘩したときに泣いてしまったとする、その時、日本の男の子は一生懸命なだめるが、欧米の男の子は泣き止むまで待つ。この差が重なりあって、今のSIerの悲惨さがあるのだと思う。(何か、たとえが変?)あと、日本は巨大システムのプロセス管理できる人がでてきにくい環境にあると思う。

私は、組み込みの世界を選んだ。だから、日本にいるのだと思う。組み込みの世界は、結構小じんまりしている。作る製品の使用例、販売対象、それを実現する技術がすべて目の届く場所にある。(結構、目をつぶっている人はいるけどね。)海外の似たような会社とも色々付き合いがあるが、最初に出てくるのは、いまいちである。多分、レイヤー分けがハッキリしすぎてるからだと思う。物の動作を見ずに作っているので動作がちぐはぐなのだ。この小じんまりした中を、いろんな人に合い、コンセプトにバイスの性質をどう落とし込むかを考えながら、プログラムするのが性にあっている。それと、OSからアプリまで作っているのも、この業界らしいところだ。こんな、業界は日本にはもうあんまりないかも。(車があるが、結構大掛かりで、携わる人数も一桁違うかも。)